ところで、市場によって価格と取引量がきまることには、どのような意味があるのでしょうか?
価格はシグナル
市場経済では、価格が上下することによって、人々が欲しがっている商品は多めに、あまり必要としていない商品は少なめに生産されるしくみになっています。ちょうど交通信号機が色を変えることによって人や車の流れを調節するように、価格という信号は、上がり下がりすることによって、労働力、土地、情報、資金などの生産資源の流れを調節し、政府の計画がなくても、生産資源がさまざまな用途に適量だけふり分けられるのです。(124P:下線部は引用者による)
資源の配分
経済活動でやりとりされるものを、まとめて「資源」(resource)といいます。これは、生産要素としての 「資本」、「労働」、「土地」や、生産された「財」や「サービス」などをまとめてあらわしたものです。 人々の欲望は無限ですが、世の中に存在する資源の量は有限です。よって経済活動は、「有限な資源」を世の中で「配分」していく活動といえます。
力の世界
もし、「何をやっても構わない」世の中がやってきたらどうなるでしょうか。最悪の場合、人々が、実力をもって有限な資源を奪い合う世界がやってくることが考えられます。
このような力の世界でも、やがてある種の「秩序」が生じてくる場合があります。
人と人は力の差がありますので、いずれ勝者と敗者にわかれます。勝者は支配者となり、大きな力をもちますが、敗者に比べると人数は少なくなります。 この「数」は集まると大きな力になり、支配者を倒すことにもつながります。よって、支配者だからといって、すべてを自分のものにすることはできません。自 分たちの力を維持したり、拡大したりするためにも、有限な資源を世の中の人々にうまく「配分」していくことが必要になってきます。
「効率」か、「公正」か
ただ、この「資源」の配分は、非常に難しい問題です。
「何をもって最も良い状態とするか?」という目標だけでも議論は尽きないでしょう。
なるべく多くの人に、なるべく多くのものを行き渡らせることが理想的ですが、もともと資源は有限ですのでそれは不可能です。 また、「なるべく公平に」分配するやり方も重要ですが、「公平性」(公正)の基準をどこにおくかも、非常に難しい問題です。
そこで、経済学では、「なるべく無駄のないように」分配していくことを目標として分析をおこなっていきます。これを、「効率」的な資源配分といいます。そのうえで、公正さをどのように実現していくかを考えていきます。
市場の力
このような難しい問題を、少数の支配者が解決することは非常に困難です。モノの値段ひとつとっても、支配者が勝手に決めることはできません。支配者の手の届かないところで、売買がおこなわれるようになります。
このように、経済活動は、どんなに大きな力を持っている人間であっても、好き勝手にできない、大きな力に左右されることがわかります。この力の動き を読み取って筋道を立てて説明していくのが「科学」(science)です。「科学」としての「経済学」(economics)では、この大きな力が働く 場所を「市場」(market)と考えて、分析をおこなっていきます。
経済学
アダム・スミスをはじめとして、経済学を「科学」としてつくりあげていった人々を「古典派」といいます。この古典派の人々は、「市場」の存在を発見したとき、次のような感動があったと考えられます。
「人々は、私利私欲を追及して行動しているのに、なぜ全体では一種の秩序が生まれるのだろうか?」
このような秩序としくみをまなんでいくのが経済学です。そして、この「市場」のしくみを分析し、それを現実の社会にどのようにあてはめていくかを考えるのが、「経済政策」です。